兄弟デュオ「ビリー・バンバン」について

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兄弟デュオ「ビリー・バンバン」について

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ビリー・バンバンとは

ビリー・バンバンは、70年代ベスト盤に収録されていた「さよならをするために」で知りました。そして彼らのベスト盤を購入して、聴くようになりました。

色々調べると、性格が対照的な兄弟の葛藤など、決して順調なデュオという訳ではないみたいですが、そういう経緯も含め、とても興味深いですね。

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出典 http://images-na.ssl-images-amazon.com

●デビューから解散まで

兄弟デュオであるが、弁舌さわやかな兄の孝と、口下手な弟の進という対照的な2人のコンビとなっている。

1966年に当時青山学院大学の学生であった進が友人達四人組のバンドとして結成。翌年メンバーチェンジが行われ、孝とパーカッションの中野光雄(後のせんだみつお)の三人組のバンドとなる。

その頃から、アマチュアバンドに物凄い腕前の持ち主がいるとの噂が音楽業界関係者の間に広まり、浜口庫之助の指導を受け、紆余曲折を経てビリーバンバンは孝と進による兄弟デュオとして、「白いブランコ」でキングレコード(SEVEN SEAS)よりメジャーデビュー、20万枚を超える売上となり、一躍フォークシンガーの代表的存在として人気を得る。この曲は当初「星空のハプニング」のB面曲として発表される予定であったが、ニッポン放送のディレクター井村文彦のアドバイスにより、発表直前にA面とB面が入れ替えられたというエピソードがある。レコーディングで曲の冒頭にトランペットが勝手に入れてあり、これに怒った進がスタッフに抗議したという話がある。一方の孝は、与えられた曲を歌えばいいという考えで特に何も言わず、進のフォローに回ることが多かった。

1972年、テレビドラマ『3丁目4番地』(日本テレビ)の主題歌である「さよならをするために」が約80万枚の大ヒット、その年の『第23回NHK紅白歌合戦』にも出場。当時のフォークシンガーは、自分の手で作詞、作曲をし、それを歌う物という風潮が強く、石坂浩二作詞、坂田晃一作曲の曲に対して進は躊躇しレコーディングを当日にすっぽかしたという逸話が残っている(後に進は本当はいい曲だったと語っている)。

この頃から、お互いの考え方に違いが生じ始め、1976年に解散。孝は司会者として、進は歌手として、作曲家として己の道を行くこととなる。

出典 http://ja.wikipedia.org

1969年 デビューシングル「白いブランコ」

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出典 http://stat.ameba.jp

時代を感じさせるお二人の髪型。。前奏のトランペット騒動?は知っておりました。

1972年 大ヒット曲「さよならをするために」

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出典 http://pds.exblog.jp

最大ヒット曲で、当時の映像も結構残ってますね。紅白出場曲でもあります。

●再結成

進がソロで「琥珀色の日々」をヒットさせるなど、2人はそれぞれの道を歩んでいたが、ビリーバンバンの復活を求めるファンの声は根強く、1984年に再結成、以降は、個人での活動と平行しビリーバンバンとして活動を行う。

現在では、十年以上にわたり手がけている麦焼酎・いいちこのCMソングでも有名(進のソロ曲が使われたこともある)。「さよならをするために」もCMで使われており、今では何の躊躇もなく歌っている。

2014年7月、孝が脳出血で緊急入院し、2015年5月大沢悠里のゆうゆうワイドへのゲスト出演から仕事復帰を果たす。

出典 http://ja.wikipedia.org

Youtube動画集

レビュー当時の映像ではありませんが、名曲だと思います。

1972年当時の貴重な映像です。二人ともお若い!

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