昭和の「ブルースの女王」淡谷のり子さんについて

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昭和の「ブルースの女王」淡谷のり子さんについて

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昭和の「ブルースの女王」淡谷のり子さんとは

淡谷 のり子(あわや のりこ、1907年8月12日 - 1999年9月22日)は、青森県青森市出身の日本の女性歌手。

本名:淡谷 のり(あわや のり)。日本のシャンソン界の先駆者であり、ブルースと名の付く歌謡曲を何曲も出した由縁から「ブルースの女王」と呼ばれた。叔父は元社会党の代議士・淡谷悠蔵。身長150.3cm。(4尺4寸)

出典 http://ja.wikipedia.org

 淡谷さんは、自分が生まれた1970年で既に63歳だったので、還暦過ぎの歌はうまいけど、バラエティ番組での毒舌・辛口で怖い人、というイメージがどうしても先行してしまいます。

 しかし、第二次世界大戦の戦前・戦後の激動の時代において、自分のスタイルを頑なに崩さず、生き抜いてきた偉大な歌手でもあったと思います。

1937年、代表曲「別れのブルース」が大ヒット!

 戦後のファルセット唱法になる前の、若々しい歌声の貴重なレコード音源ですね。還暦過ぎの晩年の歌い方や、ものまねでの歌い方とはイメージがまったく違っており、とても新鮮です!

戦前の慰問活動

 戦時下で多くの慰問活動を行い「もんぺなんかはいて歌っても誰も喜ばない」「化粧やドレスは贅沢ではなく歌手にとっての戦闘服」という信念の元、その後の第二次世界大戦中には、禁止されていたパーマをかけ、ドレスに身を包み、死地に赴く兵士たちの心を慰めながら歌い送っていた。

 「英米人の捕虜がいる場面では日本兵に背をむけ、彼等に向かい敢えて英語で歌唱する」、「恋愛物を多く取り上げる」といった行為の結果、書かされた始末書は数センチもの厚さに達したとのことである。

出典 http://ja.wikipedia.org

戦後は・・・

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 戦後はテイチク、ビクター、東芝EMIで活躍。やがて、ファルセット唱法になる。声楽の基礎がしっかりしているので、胸声一本ではなくハイトーンを失わないところに歌唱技術の深さがあった。1953年に『第4回NHK紅白歌合戦』に出場、紅白初出場を果たす。NHKの公式資料によれば、同紅白で初出場ながらいきなり紅組トリを務めたとなっている。また、紅白で第1回を除いて初出場でトリを務めたのは淡谷のみである。

出典 http://ja.wikipedia.org

フジテレビ「ものまね王座決定戦」の名物審査員として!

 この番組は面白かったですが、やはり淡谷さんの存在は大きかったと思います。いつも不機嫌で仏頂面の時が多かったですが、ものまね中に不機嫌な顔が映ると、何故か笑いが起きたり、司会者やものまね演者との一連の流れの面白さなど、なんとも言えませんでしたね(^^)

 辛口コメントが多かったかもしれませんが、辛口なりにも優しさや温かさもあったと個人的には思っております!

主な淡谷さんのものまね

 ご本人の前でのものまねは、会場の緊張感・緊迫感が伝わってきますね。。。

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